わたしがブログを書く理由

果たして「書く」という言葉が当てはまるかどうかは疑問だが…。

プロフィールでも紹介しているが、殆どは母が撮影した写真に、祖母が詠んだ俳句を添えて載せている。その他は印象に残った詩や散文を気ままに投稿している。

ちょうど2年前に亡くなった母が趣味で撮りためていた写真をどこかで発表する機会はないかと思っていた。全くの素人なので個展などを開くのは大袈裟だし、自費出版をするような余裕もない。

俳句が趣味だった祖母が亡くなった時には、母が句集を100冊ほど印刷し、親戚や知人に配っていた。お礼や感想のお手紙をたくさんいただいて、母はそれらを大切に保管していた。

ただ母は後から、せっかくならばやはり句集を本人にも見せてあげたかったと言っていた為、私は母がまだ元気なうちに、母の撮った写真を十数枚選んで、それぞれに祖母の俳句を添えたアルバムを作成して母に贈った。出版ではないので、ごく親しい人にだけに見ていただいたのだが、母はとても満足して喜んでくれた。

ブログはこの時のアルバムを元に編集しているのだが、一部私撮影したもの以外は、基本的に母の写真をそのまま使用している為、祖母の俳句に合わせるには、季節やモチーフが微妙にズレてしまっているものもある。例えば「調律師 来て梅雨の夜の 夜想曲」という俳句に当てた写真は、母が横浜の洋館で撮影したもので、ピアノの上にクリスマスの装飾が飾ってあり、よく見ると鍵盤上に「演奏はご遠慮ください」という紙が置かれていたりする。

この夏には渋谷のヒカリエで、文化村主催の写真家「ソール・ライター展」が開かれていた。その時に「ソール・ライターの色」というフォトコンテストも実施されていた。母のアルバムの裏表紙の写真は、モノトーンの雪景色の中、ソール・ライターの特徴的なモチーフである赤い傘を差した女性の後ろ姿を写したものだった。事務局に問い合わせたところ、撮影者本人の投稿以外は認められない為、コンテスト自体への参加は出来なかったが、母の写真とウェブアルバムは共有してくださるという有難いお返事をいただいた。ちょうどコロナが流行り始めた時期に前回のソール・ライター展が途中で中止になり、まだ元気だった母と一緒に見に行くことが出来なくなってしまった事が心残りだった為、少しだけ報われた気がした。

母はアマチュアの写真サークルに所属していて、都内や近郊の撮影会に定期的に参加していた。大量の写真の中から、気に入ったものを自分でA4サイズに印刷していた。今はそれらを額に入れて飾っている。アルバムを作成した時、ついでにカレンダーも作った。ブログでも季節ごとに写真を選んで載せている。始めてまだ半年ほどだが、一年経ったら少しずつ自分の言葉も増やして行ければと思う。生前は日常に追われて、殆ど会話する事は無かったが、祖母と母の感覚は確実に自分の中に反映していると痛感する。私にとっては懐かしく貴重な時間を共有していると思う。